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2017年10月31日

琉球処分は不正行為291031

10月31日の八重山日報
琉球処分は不正行為291031


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Posted by チョウケン at 17:56│Comments(1)先住民族
この記事へのコメント
>中村名誉教授 1872年琉球処分

九大・北大教授の史学者岩下明裕氏の教示に【学者も、国境や領土がテーマに為ると事実が見えない、都合よく解釈しがちだ】が在ります。

その明言は、1950年6月の朝鮮戦争勃発や、中ソのウスリー川の小島紛争が未だに解釈が当事者同士国ですれ違いの侭になっている理由を表したものです。

つまり、歴史学者が民族主義的な考えを史実に導入したら歴史を捻じ曲げて解釈すると言う戒めでした。民族主義は学者さえも変節させる“妖力”が在ると言うことだ。

なぜなら、科学的根拠に基づかない様な史学が在るとしたら概念でどうにでも歴史を解釈することが出来るからだ。

だから、考古学の場合は近年までも偽造発掘物等で歴史を翻弄されて来た事実が在る。

中村名誉教授の「1872年琉球処分」で強制的に日本に併合したと言う詭弁が未だにまかり通り、沖縄独立国家を理由もなく信じたい人からもてはやされているのが事実だ。

中村名誉教授も地元民として、愛郷心ゆえに民族主義的思考で「処分」を捻じ曲げてる。

一般に「処分」と聞くと、人は何か良からぬ処罰を受けたと誤解しがちだ、その誤解は蔓延したら地域において被害妄想に繋がるのが世界史であり政治史だ。

そして、その誤った誤解に基づく民族主義的な解釈で醸成された被害妄想を悪用する政治家が出て来て、政治に都合よく民族主義を唱え出したら、局面は戦いに繋がるのが戦争史であり、終戦後になぜ戦いになったのか共に原因が分からないのが「被害妄想」だ。

「処分」とは、実際は悪いものを改めると言う意味の或る種の行政用語でも在るが、大衆が聞いたら自分達に何か良からぬ待遇が為されたと誤解し易い「言葉」に映ってしまう。

日本は150年前の大政奉還後、立憲君主制の国体に転換して封建時代から民主法治主義国家に成った、その5年後に沖縄も王府と言う封建制度から、明治政府が人間差別がない自由民主主義を沖縄に導入した、それが「処分」の事実だ。

それまでの封建時代沖縄は、①男女差別・身分差別・職業差別、②学問と移動と自由民主の禁止、③泡盛と赤瓦は貴族のみ、④人頭税などの人権弾圧の世だった。その沖縄を、日本政府が立憲民主主義に変えさせたのだ。

日本政府の「沖縄の処分」が間近に迫った首里貴族たちは、清国に出向いて封建体制護持継続支援を要請したが、清国から再度断られた、相手にしなかったのだ。これで、沖縄は歴史上2回も清国に騙されたことになる。

中村名誉教授は、なぜ沖縄の社会改革を否定する「日本に併合された」と言う史実の捻じ曲げを言うのだろうか。余りにも、沖縄史実に於いて、県民の見識を軽く見ているさ。

史実は、沖縄は408年前に薩摩藩が武力占拠後に、首里王府温存の侭で薩摩藩の間接統治時代に移行した。沖縄が国の体裁を整えて来た西暦1500年前後から僅か150年後には独立国家沖縄は消滅したのが史実だ。

ここで、再々沖縄と記述して「琉球」と書かない理由は、琉球と言う地域名は600年前の明国が沖縄諸島を「大琉球」と他称したことが起源に在り、沖縄自身は1000年前の平安時代に古語で沖縄と自称しているからです。

なお、薩摩藩の沖縄武力占拠は徳川家康が稟議書を決裁した、すなわち408年前から沖縄は日本領土になっているのを、沖縄の子供達も学生たちも歴史授業で教わっていない。

教わっていないどころか、中村名誉教授の様な民族主義的思考の学者は我が勝手に史実を塗り替えて、150年前の大政奉還迄沖縄は独立国家で在ったと大きい嘘を言い、県民に内地に因る日本領土併合と言う民族主義的な被害妄想を醸成させているのが事実だ。

沖縄県民は民族主義志向の中村名誉教授の様な沖縄独立主義の学者や団体や、独立標榜の糸数慶子国会議員達や、沖縄独立により沖縄の社会矛盾が解決出来ると嘯く琉球新報と沖縄タイムスの独立主義媒介マスコミに騙されてはいけません。

今のスペイン・カタルーニャ州の現実を視れば覚醒する筈です、独立首謀の州政府首相は海外逃亡した、国家転覆罪(懲役30年)で国際指名手配されるとのことだ。そもそも、独立投票は有権者の4割(独立賛成がその9割)だったことが判明した、独立反対派(=現実主義派)が反映されていなかった。

沖縄の独立意識に於いては、数年前に沖縄タイムスの県民意識調査アンケートで、沖縄独立反対が96%だった。賛成の4%を日本共産党と沖縄民族主義団体と仮定したなら、その実数は県民140万人X15歳以上75%X賛成4%=42000人で、2014年衆院沖縄小選挙区で日本共産党が獲得した58000票よりも少ないことに為る。

なお、西暦1609年薩摩藩の沖縄占拠後に首里王府がどの様に薩摩藩を「処分」していたのかは、首里城の内殿を見れば一目瞭然で在るので、子供達は授業で是非とも首里城を参観して歴史を実感してもらいたい。

内殿は、清国の冊封吏の屋敷が王府正殿の右側で、沖縄を間接統治する薩摩藩の屋敷が左側に配置されていることで証明されている。

その「左」と言う政治的な思想は、日本に於いては国家として誕生した7世紀の飛鳥時代以降に奈良時代には定着した【左は右よりも優位に在る】と言う中國の政治思想で、都の建物の配置は「左が優先」で行われた。その800年後に沖縄でも実施されたわけです。

そして、沖縄の子供達が授業で教わらない沖縄の歴史が多々在るが、沖縄と言う小国が紀元前も後も経済と文化が一番栄えた時代は、西暦1609年以降の薩摩藩に因る日本国家へ組み入れ後で在ると言う史実です。

いま在る沖縄の伝統工芸品も舞踊も音楽も薩摩藩が沖縄に内地の文化を移入したことで、沖縄は伝統のチャンプルー精神で独自な文化が開花しました。

沖縄を一番代表する伝統衣装の紅型の意匠は全て江戸の植物が表されている、エイサーも薩摩藩が移入した仏教の盆踊り=手拭い輪踊り(国頭村奥集落に現存する女手拭い手輪踊り)が起源で、沖縄を代表する壺屋焼も薩摩藩が陶工を鹿児島から6人派遣したのが始まりです。伝統古舞踊も、江戸のかっぽれや能や歌舞伎や長唄などが今に伝承されている。


なお、沖縄住民はほんとうに先住民族なのだろうか。先住民族だと言う人は100%科学を信じない、信じるのは捻じ曲げた独特の被害妄想で在る誤解に基づいた民族主義的な歴史だけだ、なぜなら科学を無視した学説で地元民族主義学者なら何とでも言えるからだ。

科学的根拠で琉球大学が既にHPで公開しているが琉球新報と沖縄タイムスは一切隠蔽している、【沖縄本島の住民の遺伝子は大陸の影響が無く、むしろ内地とお互いに影響し合っている】、また沖縄方言も独自な言語ではなく平安時代の古語が沖縄に残って方言化したのが史実だ。

別の機関では、【沖縄本島南部港川遺跡の18000年前の遺骨から抽出されたDNAは日本人しか保有してないDNAだった】、すなわち日本人の始祖は沖縄本島住民だったことが証明されている。そのDNAは九州に一番多く西日本を占めている。

つまり、沖縄本島住民の人類移動史を証明している、なぜなら1万年前までは数万年間も最終氷河期で沖縄と九州が地続きだったから、沖縄本島住民は日本列島を活発に往来していた証明になっている。

その、最終氷河期が消滅して海路に在った時代は、縄文時代後期3000年前から沖縄の伝統木造船サバニの船材は、宮崎県日南市の飫肥杉で造船するのが今も沖縄の決まりごとに成っている。

うるま市の越来漁船は今も飫肥杉で造船している、内地で卑弥呼が生まれる1000以上も前から沖縄本島住民はサバニで内地交易を成して来た。

弥生時代の卑弥呼女王生誕の150年前の中國製端渓硯が3年前に福岡市近郊で発掘された。当時、中國の官僚が福岡の国で輸出入外交文書を書いていた時のものと福岡県教育委員会が発表した。

そうすると、戦乱の世の三十余国を統一した卑弥呼女王も沖縄本島住民も、漢字の読み書きが出来ていたとの推論が成り立つ、ならば当時の会話は日本語ではないか。沖縄の方言は、その800年後の平安古語の残滓だ。

先住民族沖縄と言う根も葉もないことに憧れる学者と政治家と或る団体と、琉球新報と沖縄タイムスは沖縄の歴史を600年前までしか、断片的に都合の良い部分しか遡らない。

なぜなら紀元前に遡ったら、先住と言う大きな嘘が、その科学的根拠の史実に基づいた矛盾が全てばれてしまうからだ。言葉よりも遺伝子を信用するのが学問では在りませんか。
Posted by 坂田 at 2017年11月01日 11:03
 
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