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2019年10月05日

琉球王国という幻想191005

10月5日の世界日報
琉球王国という幻想191005
琉球王国という幻想191005


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Posted by チョウケン at 18:35│Comments(2)先住民族
この記事へのコメント
日本と言う国が独立国家として外国に認知されたのが1300年前の飛鳥時代後期です。

その飛鳥時代の、唐国の官僚の墓誌に『日本に行って来た』と記されたのが在ったので、独立国家日本の誕生時期が判った。

一方で、当時の朝鮮は新羅に統一前の群雄割拠の時代だった。

(飛鳥)日本は直後に奈良時代に移行して、都も中國式思想で建物が建設された。奈良時代は一世紀も続かず平安時代になり、以後400年間平安が続いた。

中國式思想とは、政治に於いて『左が右よりも優先する』に在る。由来は良く分からないが、日没に関係が在るやと聞く。

この『左が右よりも優先する』思想が、沖縄でも550年前の首里城に見て取れる。ここが肝心な点だが、沖縄では生徒に教えない。

北山・中山・南山の三山統一でようやく国の体裁を整えて来た沖縄は、410年前に徳川家康公が決裁した『薩摩藩に因る沖縄武力占有』で、140年間続いた首里王府沖縄が日本領土になった。ここを琉球新報が誤解する理由が在る、王府国体が消滅したのだ。

この時点で独立国家首里王府国体が終えて、薩摩藩に因る沖縄の『首里王府温存式の薩摩藩に因る間接統治』時代が明治まで260年間続いた。だ か ら 、 沖 縄 県 に
 移 行 し た 。

なお、上述の首里王府の『左が右よりも優先する』は、再建された首里城内殿を観れば沖縄も内地同様に中國式政治思想を取り入れたことがわかる。これぐらいは明と清が判る。

なお、どうしても判らないのが明の皇帝から恩賜された王冠の玉数を、いつの間にか4倍の288個に増やしていたことだ。

直後の唐は、王冠の政治風習がなかったから冊封使が気付かなかったのだろう。

然し、余りにも中國を見下した行為だった。ここに、島人精神の真髄が在ると想ってる。

首里城正殿で、正殿から見て左側が間接統治者の薩摩藩屋敷で在り、右側が清国の冊封吏屋敷に配備されている。この意味を説明していないから、琉球新報が誤解したのだ。

410年前に沖縄を間接統治した薩摩藩(委譲したのが江戸幕府日本)が、清国よりも薩摩の方が偉く優先すると首里王府が清国に見せ付けた。この理由を清が知らない訳ない。

なお、間接統治とは首里王府体制を温存して行政権限を王府に委譲することで在り、①統治コストが安く付く、②首里王制度を温存させることで住民を宥めることが出来る、③温存後に直ぐやるべき反乱防止策の刀狩を実施可能にする、この①②③の実利が得られる。

なお、③で後に住民の間から編み出されたのが世界初の沖縄空手武術だった。

既に刀狩で武力解除された首里王府に於いて、泡盛は首里貴族だけの嗜みで在り泡盛壺を醸造元から移送する際に隊列を空手家が護衛することになった。

この泡盛を薩摩藩の江戸屋敷で飲めるものだから、幕末志士らが毎晩なにかの理由を付けて押し掛けた。

その証しで、江戸屋敷跡からおびただしい豚骨が発掘された。沖縄由来薩摩料理の豚スペアリブ黒糖醤油煮込みが振る舞われていた。

この豚の煮込みは三日間を要するので、西郷隆盛も好物だっただろう。なぜなら、西郷は同じ甘辛味のウナギ蒲焼が大好物だった。

また、泡盛に付いて古酒42~43度がベストです。経験で、久米島の球美18年物。同じ18年物バーボン・ワイルドターキーと飲み比べたら美味さの違いが判ります。

序に、酒と女だけは『上から下に降りること』です。下ばっかり漁っていたら何時まで経っても一番良いものが判りません。

一旦味わった“味覚”は一生忘れないので、その後の良し悪し=格付けが判ります。その点で言えば同じ蒸留酒の球美を10点としたら、芋焼酎森伊蔵は6点。

なお、この遠隔地に於ける間接統治法を、同じく74年前の日本でマッカーサーが天皇制度温存式間接統治として執った。

お陰で占領軍の刀狩が、全国津々浦で『次の予定地は〇〇です』とするラジオ放送で簡単に出来た。

実は、沖縄県民や内地の方で『沖縄は植民地にされた』と在りもしないすり替え表現を自慢する方々が居るが、まったくの嘘だ。

沖縄が、始祖で在る沖縄本島南部港川遺跡の18000年前の港川人遺骨が発掘された時代から、江戸幕府以外に沖縄が外国の統治下に置かれた史実は一度もない。

それ自体が、沖縄が独自の文化を繋いで来た逞しく強かな島人精神の現れだった。

その、江戸幕府が薩摩に間接統治を委嘱した沖縄が、明治までの260年間の時代こそが、沖縄が島史上で経済も文化も一番繁栄した時代だった。

これを、沖縄では義務教育で決して生徒に周知させないから問題なのだ。

今の主要な伝統工芸や文化(古舞踊、壺屋焼、紅型、エイサー)も薩摩藩が導入して、沖縄が“チャンプルー精神で”伝統文化に昇華させた。紅型の意匠が江戸、生地が沖縄、塗料が中國の三位一体だった。

ネットで検索したら『沖縄独立王国が明治の琉球処分まで存続した』欄や、琉球新報や沖縄独立を願望する人たちも『明治政府から独立国家沖縄が日本に組み入れられた』と主張しているが、まったくの誤解である。

彼らは『薩摩藩に因る沖縄の間接統治』と言う史実が、恥かしい事に判っていないのだ。

沖縄間接統治は間切りや町内会単位まで行政権限を首里王府に薩摩藩が委譲したから、住民は以前と変わらずに暮らすことが出来た。

これを、琉球新報らが明治になるまで“独立国家琉球”だと勘違いしている。

みんなが勘違いしているが、はたしてそうだろうか。一般大衆が史実を知らないことだから、恣意的にすり替えているしか見えない。

琉球新報さん、“権力者”として大衆迎合指針を執るものは最期に潰れたのが世界史だ。
Posted by 坂田  at 2019年10月06日 00:08
メキシコの作家 「中止は検閲。芸術家は表現の自由が在る」と愛知展覧会中止を腐した報道が在った。

今週、欧州でナチスの表現は表現の自由ではないとする判決が出た。社会の価値観に相容れない表現は駄目と言う事だ。

同じ様に日本でも、憲法第21条第三章の表現の自由の運用解釈を、35年前に最高裁判所が『公共福祉に反する表現は表現の自由ではない』とする判例を示した。

なんでもかんでも表現の自由は、自由ではないと言うことだ。

ところが日本では愛知展覧会を機に、朝日新聞と左派系知識層と出品作家が『表現の自由が侵された』とうそぶいている。

政府に抗議した作家群も、しょせん専門外は井の中の蛙大海を知らず状態だ。最高裁判例を嫁っ...じゃなかった読めっ。

この様に史実が左派系知識層から捻じ曲げまげられてしまう。

彼等も津田監督も大村知事も最高裁判例を知らなかったと言うのだろうか。そんな子供染みた反論は大人社会に通用しない。

そもそも、津田監督自身が展覧会実現のために前以って問題になりそうな出品作の隠しを作家に指示して理解させた指摘報道が在るから驚いた。それを政府のせいに責任転嫁させた。

初めから、公共福祉に背く表現の自由は自由ではないと津田監督が承知していたわけだ、だから出品作隠しを指示したのだ。

その悪辣な左派の事実すり替えに警鐘を鳴らしたのが、明治天皇玄孫の武田恒泰氏でした。

憲法学者の武田氏が、35年前の最高裁判決を援用して左派系知識層を“やんわり”と論理的に批判しているのが判ります。

大村知事は、表現の自由と口酸っぱく誰かさんの腹話術人形の様に繰り返すが、言う前に憲法21条第三章表現の自由の最高裁判決を読んでみなっつうの。

憲法学者なら常識なのに、35年経つと左派系知識層が最高裁判例を忘却の彼方に追いやってしまう。これこそが民主主義の否定を行動指針とする日本共産党の党綱領そのまんまだ。

とにかく、従軍慰安婦は朝日新聞の捏造で在ったと木村朝日新聞社長が謝罪会見して紙面謝罪を終えている。

慰安婦とは国語になく単なる朝日新聞の嘘なのだ、その公共福祉に背いた嘘をどうして表現の自由とすり替えるのだ。

怪しからんのは、昭和天皇を凌辱した憲法第1条に背き公共福祉に反する品物が展示されたこと。

安倍総理と菅官房長官の顔人形を並べて赤いハイヒールのかかとを口に突っ込んだこと、なんと悍ましい品物だろうか。

どちらともに慰安婦像も、すべてが韓国に於いての反日デモで繰り広ろげられている展示物で在ることをなぜ隠すのだろうか。
Posted by 坂田 at 2019年10月06日 10:12
 
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